『ラクしてカッコよければしあわせか   
                   - 負ける練習 -




…自分の子さえよければ…

ある母親が息子の就職のことでわたしのところへきました。
以下はその母親の言い分。

「うちの息子は1人息子で、よそ様の子と違いまして大事に育てましたので、
あんまり骨の折れることや、身体を荒っぽく遣う仕事には向かないと思うんです。
それに小さな会社や工場ですといつ倒産するかわからず不安ですから、
できたら倒産のない大きな会社か役所のようなところが一番適当かと思うんですが、
相田さんのお顔でどこか安定したいい職場をお世話していただければと思いまして・・・」

「ほう、ほう、ほう」
聞いてるわたしの顔がほてるような思いでしたが、
これが世の親たちの本音かもしれません。

母親の話を要約すると、
一、わが子にはなるべく骨を折らせたくない。
   その反対・・・他人(ひと)の子ならいくら骨折ってもかまわぬ。
二、わが子には一生安楽な生活をさせたい。
   途中で倒産なんていう不安な思いをさせたくない。
   他人の子ならかまわぬ。

ようするに、
自分の子だけは、ラクして、いっぱいお金もらって、カッコいい生活をさせたい。
他人の子はどうでも。

なんとも身勝手な話ですが、これがどうやら世間一般の母親たちの平均のようです。
この母親の心の底には 「親の苦労は子にさせたくない」という
せつない気持ちがあるわけで一概に否定できませんが、
こういう母親のエゴが、結果的には
子供自身をみんなダメにしている、とわたしは断言いたします。

自分の子さえ幸せならば他人の子はどうなってもいい、この母親の自分勝手。
その母親の姿勢がそっくりそのまま子供に移って、
自己中心的な、我がままなブレーキのきかない現代っこを作っているんです。
つまり、母親そっくりの子供になっているわけです。

そこでわたしは世の母親たちへ次のことを訴えます。


一、ラクしてカッコよければ幸せか、ということ。
   逆に骨を折ることは不幸か、ということ。
   人間のほんとうの幸せとはいったいなんなんだ、ということ。

     わたしは、人間のほんとうの幸せとは「充実感のある生き方」だと思っています。
     骨を折らない、つまり、努力を必要としない仕事に充実感はありません。
     山登りに生き甲斐を感ずるのは、山登りが大変だからです。ラクじゃないからです。
     ラクじゃないから充実感があるのです。

二、ごく普通の順序でゆく限り、子供は親亡きあと1人で生きてゆく、ということ。
   親亡きあとどんな苦労にぶつかるかわからぬ、ということ。

三、子供は将来を生きる、ということ。
   そして将来のことは何人(なんびと)にも予想がつかぬ、ということ。

     終戦のあの混乱期に、30数年後の今日の世の中を誰が予想できたでしょう。
     私自身、敗戦で軍隊から帰ってきた当時、全家庭にテレビや自動車のある生活など
     夢にも想像できませんでした。
     いわんやお月さまに人間がゆくなんてことを。
     それと同じで、わが子が1人前の大人になって活躍しなければならない
     20年、30年先の世の中がどう変わってゆくか?
     予想できるものは1人もいないんです。
     つまりどう変わるかわからない将来を生きてゆく、それが子供です。
     したがって将来、子供がどんな苦難に遭遇するかは全く予想できぬということ。
     わが子には苦労させたくないと母親のエゴでいくら思っても、
     親亡き後、親よりも苦労することがいっぱいあるかも知れない、そのように
     腹をすえて子供の将来を見透すべきです。

そこで言えることは、
たとえ、親よりも苦労することがあっても、親よりたくましく、親よりも根張り強く、
人生を生きぬいてゆく力と智恵とを子供に与えておく、それが
一番正しい親の愛情であり、義務であるとわたしは思います。


…負ける練習…

そのためにはどうしたらいいか。
結論から先に言います。
負ける練習、恥をさらす練習、カッコの悪い体験を、
できるだけ多く子供にさせておくことです。

人間の身体は使ったところが強くなります。これは至極単純な原理です。
その反対、使わぬところはどんどん弱くなります。
現代っ子にとって一番弱いところはどこか?
負けに耐える心、恥に耐える心、カッコ悪さに耐える心です。
負けるということは自分の思いが通らぬことです。
自分の思いが通らぬ時、子供は次のふたつのうち、どちらかひとつの行動をとります。

一、じっとがまんして自分の欲望にブレーキをかける。
二、だだをこねて思いを通す。

世の母親は大体において後者で、
大事に大事にだだをこねさせて子供の思いをみんな通させる。
年寄りのいる家ではそれに拍車がかかる。いわゆる過保護です。
つまり、子供がガマンをする機会を、親自身の手でみんな取り上げてしまうのです。
そしてわずかなことにもガマンのできない、ブレーキのきかない、
我がまま放題な子供を作り上げておいて、
しかもその子に<手を焼いて>いるというのが大方の現状です。

長い人生には自分の思いが通らぬ場合がたくさんあります。
思うようにならぬのが世の常であり人生です。
むしろ、自分の思うようにならぬほうがはるかに多いのが人生です。
それならば人生の的を思うようにならぬ方へ合わせるべきです。
思うようにならぬ・・・それは、ことばを代えれば負けることです。
カッコよく勝つことではありません。
自分の思い通りカッコよく勝つことは人生ではごくまれです。
だから人生の的を確率の少ない、<勝つこと>に合わせないで、
確率の多い<負ける>ほうに合わせておくことです。
それが負ける練習です。

小さい時から負ける練習をさせておけば、成人してから負けに強い人間になれます。
失敗してもへこたれないたくましい人間になれるはずです。
人生におけるどんな波風、どんな屈辱にも堪えて、
真っ直ぐに自分の道を歩いてゆけるような、
しっかりした『いのちの根』を作っておいてやる、それが本当の愛情だと思います。
ラクしてカッコいいこと、つまり、勝つことばかりを考えて、過保護に育てられた子供は、
その分だけ、『いのちの根』が浅く、親亡き後の本人の負担が大きいことを知るべきです。




相田みつを:著  「にんげんだもの(1984年4月発行)」より。